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8月11日 明日の風台風が過ぎてから、数日の今晩。
夜、上海には強い風が吹いていた。
雨が来るのかと、思わず空を見上げるが、そこには雲ひとつ無い真っ黒い夜空が広がっていた。
夕飯を食べて外に出ると、その風の強さは自分の体で直接感じることが出来る。
徒歩で帰るには少し遠い道のりだけれど、強めの風が気持ちいいのでゆっくり歩いて帰ることにする。
明日はどんな天気なのだろうか。
正面から感じる風からは、暖かい南風らしく、夏らしい匂いを感じた。
この風は、もしかしたら明日から吹いてきているのかもしれない。 8月10日 コトノハコトバ。いやはや、言葉というのは難しい。
日本では古来より『言霊』という考え方があり、『言葉』には魂があり、言葉を発することによって、そこに目的を実現する霊的な力が宿るという考え方が、万葉の昔から存在していた。
変わって現代。
『言霊』信仰とは言わないまでも、言葉というは表と裏の意味が有ると思う。
口に出して話す『口語』は、言葉に感情が+(プラス)する分意味を理解しやすいが、『文語』となるとどうだろう。
どういう状況か、また人によっては感情的になればなるほど記載が緻密になったり、文面が硬くなる事によって、人との距離を感じたりすることもあるだろう。
何が言いたいのかというと、それが外国語になると更に難しいというお話。
基本的に外国語の(ネイティブではない)場合は、外国人である=裏の意味はないという認識で接している。
事実、私も日本語を話される中国人の方と話している時は、ストレートな受け止め方をするようにしている。
中国語と日本語、同じ漢字を基にした文化であるが故に、細かい部分は理解できなくても大まかには理解できてしまう分、むしろ難しいのではないかとふと感じた。
何にしろ、仕事って難しい。 8月6日 台風休暇出張先にて、ブログを記載。
一昨日から南方出張。
初日、朝の過ぎに家を出るも、空港にて搭乗予定の飛行機が故障によ約3時間空港に足止め。
昼過ぎにやっと到着し、そこから仕事にて歩き回ること4時間。
ヒールを履いてきたことを後悔しだした頃にようやく作業終了。
夜はお客さんと半分接待のような夕飯。
翌日、8時集合。
昨日とは打って変わって、1日会議室にて討議。
日も暮れた頃、やっと会議が終了し、お客さんと少人数で食事。
そして、本日。
上海に戻るだけなので、大寝坊をしようとたくらんでいたが、同僚からの電話で起こされる。
『台風で上海行きの飛行機が飛ばないらしい』
少し早めに空港に行くも、カウンターには客があふれ、本日発の飛行機は全て飛ばないとの通達が出る。
同僚が昨日から航空会社と連絡を取っていた為、昨日飛ばなかった乗客のために、状況が少しでも良くなり次第、出発を予定している飛行機が2便だけあることを知ってた。
こっそりとこちらの便の乗客に混ぜてもらい、なんとか搭乗口まで行ったものの、飛行機が一向に飛ぶ気配はない。
なんだかんだ5時間待った挙句、航空会社より手配したホテルにて待機の支持が出た。
私や同僚は今日が初めてだったが、隣の夫婦は既に2日目。
市内ではなく、郊外のちょっと良いホテルにて待機となった。
夜、上海にいる会社の同僚に電話してみると現在も風と雨が相当酷いとのこと。
国際線は数便飛んでいるが、国内線は全てストップしているらしいので、まあ安全を考えれば1日くらいはどうってことないか。
久々の出張だったが、かなりハードなスケジュールだったので、ゆっくりするのも良いかもしれない。 8月3日 忘れたわけではないけれど・・・最近サボりがちのブログ。
別に忘れていたわけではないのだけれど、仕事が忙し過ぎて・・・(←言い訳<笑>)
日記の様なものとはいえ、以外に文章というのは余裕がないと思い浮かばず。
こういう時に、自分はあまり器用ではないなぁと思ってしまう。
明日からは、久々に南への出張。
この出張が、吉と出るか、凶と出るか・・・。 7月28日 上海だけれど、モウマンタイ暑さのせいで、冬や秋には美味しく食べらた物もなぜか食べたくなくなるこの時期。
新しい『小吃』を求めて、お昼に近所をふらついてみたら・・・。
あった!
列出来ている場所が。
覗いてみるとホントに小さく、殆ど店舗は畳1枚分ほどしかない。
メニューを見ると、全て『XX肉飯』と書いてあり、見た目的は中国の一般的なお弁当といったカンジ。
何だと思い通り過ぎようとした時に目に入ったもの。
それは、鴨のロースト(中華風)だった。
もう一度メニューを見るとあった『烤鴨飯』8元。
大胆にも中華包丁で叩きながらきっていく豪快な様子を見ながら、買う決心をして列の後ろについた。
待つこと5分。
やっと自分の分を頼み、お店のお姉さんにふと涼しげなモノが見えた。
それは、冷蔵庫の中の『椰奶西米露(タピオカココナッツ)』と『芒果布丁(マンゴープリン)』が並んでいる。
芒果好きの私といえば、頼まなくては!!
早速オーダーすると、余りの安さにびっくりする。
『タピオカ3元、マンゴープリン2元ね』
イマドキ、コンビにでも2元でデザートは食べれまい!!
お店の彼女の話し方が微妙に上海語訛りでもなく、北の方の話し方でもない。
この声調は・・・『広東人?』。
聞くとあっさり『そう!』との返事。
昼下がりの探検隊は、まだまだ続く・・・。 7月24日 予定の無い1日。特別予定の無い1日。
平日の疲れを癒す為に、友人とランチの約束。
以前から私が行きたがっていたフレンチビストロが目的地だったが、到着早々本日は営業していないことが判明。
自分の段取りの悪さを心の中でののしったが、『それじゃあ、気分転換にあっちに入ろう!』と声をかけてくれた友人の言葉に浮上する。
飛び込みで入った割には、かなり大当たりだったイタリアン。
旧フランス疎開地洋館の中庭の一角に立てられた店はまるでガラス張りの巨大な温室の様。
空からの日差しは温室を突き抜けて経っている大きな木と、天井を覆う布にてさえぎられており、店内は空調で管理されて気持ちの言い空間が広がる。
テーブルの配置は、かなスペースを贅沢に使い、互いのテーブルを邪魔することなく配置されており、かなり気に入った。
『スープ、メイン(バスタorサンドイッチ)、ティラミス、飲み物』で78元のA setと『スープ、サラダ、メイン(肉、魚)とティラミス、飲み物』98元の2種類で、私たちはAを選択。
野菜たっぷりのバジル風味のスープと、トマトソースのペンネはもちろんのこと、1番のお勧めはデザートのティラミス。
クリームは優しいマスカルポーネの味がしていて、下の方はアイスクリームになっていてかなり美味しかった。
その後、場所を『Sakura Do』に写し、和風系デザートで癒される。
ここは、椅子も良いが、一番いいのはソファーと椅子の座り午後地。
手触りも感覚もかなりフィットして、これではなかなか皆席を立たないのも納得できる(笑)
夕方、そろそろ帰宅しようとしたところ、少し年上の友人に『生日快楽!』の言葉をもらいに、思いがけない嬉しさに喜んでしまった。
やはり、一人で出来る快楽と言ったらエステでしょう?と行きつけのエステに足を向けたときに、友人から夕飯のパーティがあるとの連絡を受けた。
久しぶりの人もいるので、エステは今度に後回りして、イタリアンレストランにて夜間部が始まった。
飛び入り参加にも関わらすプレゼントを頂く私。
思いがけないこと;嬉しいときは嬉しさを倍増させてくれるらしい。 7月20日 ホグワーツ in 上海陜西南路と延安高架道路に囲まれた、さながら上海の中心地に突如現れたイギリスの、しかもハリーポッターに出てくるホグワーツ魔法学校を思わせるような建物を目にしたことはないだろうか。
高いビルの間に突然現れた洋館。
その名もマーラー邸(中文名字:馬勒邸)である。
5カ国の疎開地として、戦前欧米文化がひしめいていた上海では洋館自体は決して珍しい建物ではないが、それにしても細長い塔の先端といい、壁に使われている色彩といい、他のどの洋館とも一線を引く特徴をもった建物である。
屋敷のかつての持ち主の名は、イギリス系ユダヤ人のエリック・ミューラー。
1919年上海に渡り、一頭の競馬馬から財を作り上げ、当事の競馬会董事にまで上りつめた人物であったという。
この屋敷は、愛娘の夢に出てきた建物を模して作られたらしく、時代を反映してか建築様式としてはヴィクトリアン・ゴシック様式となるらしい。 (当時のイギリス女王はヴィクトリア女王で、ゴシックはどちらかというと退廃的な芸術とも言われていた)
なるほど、面白い形の建物や壁のタイルは、見ようによってはグロテスクでこっけいに見える。
現在は衛山賓館の別館として、プチホテルとして近年使用されるようになった。
通常のホテルと違って宿泊以外の設備が無いため、見学の為では少し入りにくい門構えの雰囲気を漂わせていた。
一度は泊まってみたいと考えていたのだけれど、値段は5★クラスの部屋代がかかるらしい。
なぜこの話題になったかというと、実はあのヘンで、上海で買い物をする時によく使用するバス停が、この建物の真正面にあるので以前から気はなっていた。 7月16日 ほろ酔いほりでぃ。7月14日 眠り姫の午後。最近、週末の生活が平日にまで流れてしまうことが多い。
金、土の夜更かしが日曜日に響き、月曜日の空が白んでくるまで眠れない。
そのまま朝、出勤をすると、午前中はまだ良いんだけれど、昼食後は特に睡魔が襲ってくることになる。
折りしもオフィスは空調が聞いていて、そのために長袖の上着を羽織っている為、心地良い温度で眠くなってくる。
しかし、家に帰るとDVDを見たり、メールを書いたりしていると、結局夜更かしをしてしまい、翌日も寝不足になる。
こんなことを、最近繰り返しているのが多い。 7月11日 ブルーマンデーin上海毎週月曜日は、私にとってブル-マンデー。
金曜日はついつい夜更かししてしまい、土曜日もここ最近は飲み会で午前様。
日曜日はランチの時間を寝過ごして、月曜の早朝、朝日を拝むことも珍しくない。
毎週月曜日はいつも、会社を休もうかどうか、悩みどころだ。
留学時代はもっとひどかった。
授業は午前中しかないのに、午後部屋に帰ると眠くてついつい昼寝。
夕方に一度目を覚まし友人と夕食を食べた後、10時を過ぎた頃にはまた眠くなり寝てしまう。
気がつくと次の日、授業遅刻ギリギリの時間に目を覚ます。
このパターンを毎日繰り返していて、就職が決まった時、一番心配したのは社会人復帰が出来るのかどうかだった。
ところが。
以外に社会人になると、3日も過ごすと生活のサイクルも元通りになり、学生時代よりも1日が過ぎてゆくのが早くなっていった。
今日も無理やり出勤してしまうと、あっという間に退社時間。
みんな、それぞれの時計の針は、同じようには進まないらしい。 7月8日 心の空最近天気の話しばかりしているが、梅雨明け宣言が出てから雨の回数が増えたような気がする。
今日も日中は快晴とは行かないまでもお天気だったが、夕方6時ごろ、急に天気が崩れ始めにわか雨。
それから、夜の9時を過ぎた頃に、今度はバケツをひっくり返したような物凄い量の雨と雷がなった。
2度目の雨は半端無く降り、短期間のうちに車道には川の様な水の流れが出来、歩道にある通常ならば配水管として使われる場所からは水があふれ出ていた。
日本で夏場の大雨に見られる、縦に走る稲妻はこちらではまったく見ることができないが、今日の雷は音だけで言うならばそれに匹敵するくらいの音がした。
雨は約30分ほど降り、突然止んだ。
夏の訪れが雨を呼び込んだのか。 7月6日 恵みの雨。梅雨明け宣言以来、久しぶりの雨。
そもそも、もともと上海自体、雨が少ない。
梅雨の時期ですら、傘を持って行動した日は数えるくらいしかない。
ま、だからといって全ての日が快晴というわけではないのだが。
雨自体も1日降り続くというのはあまり聞いたことがなく、たいてい短時間、もしくは午前、午後といったように一定の時間降るとやんでしまうことが多い。
今日も朝、出勤時には可なり降っていたものの、会社に到着するくらいには一度やんでしまい、昼頃に再度降りだし、夕方にはまたやむというのを繰り返していた。
会社帰りの道。
雨もやんだことだし、久しぶりに徒歩にて帰宅。
雨上がりで道路も濡れており、空を見る限りはっきりとやんだわけではないけれど、上海の下町ではすでに何時も通りの道の上での生活が始まっている。
時刻は丁度夕飯時。
テーブルと椅子を道路に出して、一家で食卓を囲んでいたり、ビーチチェアの様な椅子を道に並べ、まるで家の中にいるようなくつろいだ格好で寝そべっている。
かと思えば、数人でテーブルを囲んで、カードやマージャン、中国将棋をしたりしている風景が、当たり前のように展開されている。
日本では、現在『内』と『外』がしっかりと別れている分、このような風景はありえないけれど、中国ではまだごくごく当たり前の様子。
しかし、現在建築が大幅に進んでいる高層マンションなどに住んでいる同僚に話を聞くと、今では隣に誰が住んでいるのか知らないことが多いのだとか。
この風景もだんだんと『なつかしい』風景へと変わっていくのかもしれない。 6月29日 嵐の素顔。3日連続で嵐が到来。
それも時間は決まって、午後の3時半から4時の間に起こる。
午前中の無風状態が嘘かの様な渦巻くような暴風と舞う雨。
ガラス窓に雨が叩きつけられる音の激しさに、勢いの凄さを感じる。
一枚隔てた向こう側には、さながら天然のシャワーの様に外を歩く人々を来るしているかのようだった。
夕方 6月28日 遅すぎた訪問者。『暗雲漂う空。
それはまるで魔法で太陽を隠し、世界を暗闇に包み込んでしまったかの様だった。』
これは嘘の様なホントの話。
昨日に引き続き本日も昼過ぎから大雨。
昼頃から天気は崩れ始め、西の空から暗雲がものすごいスピードで移動しているのが見えた。
午後4時頃、ふと窓から外を眺めると、辺りは真っ暗。
さながら、日が暮れた様な状態。
しかし、本来ならば日が落ちていない時間の為、街灯もビルの照明も灯っておらず、明るいのは通り過ぎていく車のランプだけ。
22Fにある会社のオフィスからは、人民公園と延安高速が見えるが、ただ高速に渋滞している車のブレーキランプの赤色が際立ってよく見えた。
窓を少し開けてみると、雨は降っていないものの暴風が吹き荒れ、渦を巻きながらビルの側面を吹き上げてくる。
虹橋に行っていた同僚から連絡があり、彼の地はすでに暴雨で外を出歩けない状態。
連絡を受けてしばらく経つと、今度は窓を何かが打ち付ける音が聞こえ始めた。
再び外を見ると、先ほどの風に大粒の雨が混じり、暴風雨へと変わっていた。
さっきまで見えた高速道路も、いや下手をしたら通り向かいのビルさえ霞んで見えないほどの強烈な雨。
吹き上げる風の為、傘などさしてもまったく役に立ちそうに無い。
年間でも傘をあまり持たずに過ごせる上海では、珍しい程の雨だった。
約2時間後。
そらは曇ってはいたが、雲も水滴を出し切ってしまったのか、雨の方は打ち止めの様子。
この日読んだ新聞にはこんな記事が・・・
『上海の遅すぎる梅雨入り。6月18日に梅雨入り宣言。・・・・・・・・』 6月18日 パーティが始まる時間。週間フリーペーパ『ジャピオン』によく記事が載っている話題の店『フラミンゴ』にて、『上海企業派遣の会』に参加。 私は現地採用組なので企業派遣ではないが、それは門戸の広い上海のサークル。 以前の同学や友人達より誘われて、参加を決めた。 参加してみると、かなり賑やかで陽気な会。 ほとんどが仕事を持っている人だが、見てくれは異業種懇親会。 しかし、参加者の大部分が20代から30代ということもあって、結構わいわいがやがやと楽しく飲んでいる。 今回はそろそろ学期末ということも有り、企業派遣組の辞令も出て、日本に帰る人や上海に残る人、または中国の別都市に赴任が決まった人など話題も様々。 さらに、以前別口で出会った人と再会して話が盛り上がり、結局3次会まで参加。 家に帰ったのは4時を回っていた。 出会いはいろいろあるけれど、大切にしたいな。 6月12日 夏の風に誘われて。昨夜の宴の後、パーティにて意気投合した仲間と彼の友人の送別会へと参加。 初対面の方の送別会に参加というのに、最初はいささかためらいのあったものの、参加してみると実は以前にあったことがある方だと言うことがわかり、改めて上海の人間関係のつながりを実感。 はじめましてもあったのの、そこは同年代の強みですぐにざっくばらんな雰囲気となり、楽しい夜を過ごすことができた。 パーティから一夜明け、梅雨の時期を微塵も感じさせない、快晴の空。 夜更けに眠りに落ちたものの、あまりの天気の良さに目が覚めてしまい、1日篭る予定だったものの気持ちがうずうずと外へと向かってしまう。 開けっ放しの窓から吹き込んできる気持ちの良い夏風に我慢ができなくなり、昼過ぎに読みかけの本を鞄に投げ入れ、外へと飛び出した。 行き先は先日からちょっと気になっていたカフェへと定め、夏を思わせる日差しを避けるように日陰を歩きながら進む。 疎開時代の洋館が残る町並みのカフェにて、遅めの昼食をとりながら2時間ほど読書を楽しんだ。 一人で過ごすこんな時間も嫌いじゃない。 カフェのドアを押して外へ出る頃には、すっかり日が傾き黄昏の時間に進みつつあった。 どこかでバスに乗ろうかとも思ったが、すこしオレンジ色がかった空を眺めて、やはり徒歩で帰る事に決めた。 行きとは違う道を通りながら、今も残る洋館を見つけると足を止めてみる。 私はこの町に残る老房子が好きだ。 それは私の歴史好きにも起因しているのだろうとも思うが、この街の通ってきた時代を感じさせてくれるから。 上海は決して古い街ではない。 この街が表舞台へと出てくるのは、たかだか100~150年程前の清朝末期くらいだと思う。 『眠れる龍』が『瀕死の病人』だったことに気づき始めた欧米による開国政策によって、黄浦江を持つ揚子江下流の上海が重要な拠点になっていったのだろう。 街中を歩けば、『1906』や『1924』など数字を冠した建物をすぐに見つけることができ、20世紀初頭に今の老房子の多数が建てられたことがわかる。 そこにはフランスのシノワズリやインドシナ半島のフランス文化、日本の鹿鳴館時代に見られたような折衷文化が色濃く出ている。 自らを『中華』と称したオリエント文化と、バロックやゴシックというキリスト教文化が混在する不思議な空間。 現在残っている老洋房子と老房子の混在がその時代背景を思わせ、かつて『魔都』と呼ばせた上海の理由を勝手に想像させてくれる。 その洋館の大部分だが、かつて異国の1家族がすんでいただろう屋敷には、7,8世帯が昔の外観をほとんどそのままに住んでいる事が多い。 かつて綺麗なバルコニーだったところは、思い思いにレンガをつんで部屋にしてしまったりと多少手は加えられてしまっているが。 思うに、こちらの人は家に対して、あまり外観にこだわりが無いと思われる。 そのため、どちらかというと機能的な部分さえ満たしてしまえば、特に見た目を綺麗にする為に手を加えるということをあまりしなかったのではないか。 それ故に現在でも多くの古い建物が残っているとしたら、ある意味でその選択は正しかったのだと思う。 上海という街の魅力は、浦東の現代的な夜景だけでなく、外灘にあるようなノスタルジックな東洋の西洋文化、つまりはまるでタイムスリップしたかの様な異国情緒を感じられるところにあるのだから。 旅の仲間。土曜の夜は、何かが起こりそうな、そんな気分に不思議となるのはなぜだろう。
いつもの土曜日、夕方に友人とシャン陽市場で待ち合わせたが、買い物もせずにお茶をする為、市場裏のクレープ・ガレットの店へと入る。 向かい合って他愛も無いことを話しながら、本日1食目となるクレープをつまんでいると、あっという間に日は傾いていった。 そこからぶらぶらと南昌路をウィンドウショッピングをしながら歩き、本日の夜のメイン、新天地へとたどり着く。 今日はGree上海の会と76会のコラボパーティの為、新天地Arkのフロアを9時まで借り切って行うらしい。 今回のパーティ企画者の1人である友人に誘われて、私達も足を踏み入れたわけだった。 中に入って見るとすでに相当の人が集まっており、盛況な入りは間違いない。 どうにか席を見つけて、スタートダッシュに遅れたパーティに参加することにした。 お酒や食事を口にしながら周りを見渡すと、あちらこちらに知っている顔がちらほらと見える。 久しぶりと挨拶をしたり、始めてであった人と交流を持ったりしていると瞬く間に時間は過ぎていく。 パーティも半ば過ぎた頃、ステージ上からは企画者の面々が現れ、今回のパーティの盛況さを大いに語ってくれた。 今回の企画には、実は大きな目的があった。 Gree上海の会を立ち上げ、オフ会を企画し、支えてきた立役者の赴任地が天津へと決まったからだ。 入れ違いにはなったが同じ大学で中国語を学び、その縁もあってGree上海の会やその他の場所で会うことも多かった彼。 今回の100人を越えるパーティを始め、毎回、かなりの人数が参加しているオフ会を企画、告知、運営など、趣味というには手間のかかる作業をこなしているのは、ただ参加させていただいている身としては本当に尊敬している。 そんな彼を知り、集まった人々がこれだけいることは、皆、私が感じているような思いを持って集っているのだろうと思う。 彼ら企画者達が開く出会いの場は、ただ参加するだけではなくて、そこに参加することで、出会いの機会を提供して、また新たなる仲間を得られるようにという配慮が感じられた。 単身者が多い海外での生活。 こういう場で得た人たちには、『友人』という言い方よりも、異国で出会った『旅の仲間』という言い方のほうが一番しっくりとすると思う。 それぞれの目的の為にこの場所で集り、そしていつか旅立っていく『仲間』に。 6月9日 天晴れ!快晴。天気、快晴。 風、南風。ただし、風力、中。 暑過ぎる日と、涼しい日を繰り返した数日を経て、まさに『過ごしやすい』日が到来。 昼過ぎに外を歩くも、日差しは強いが、強すぎない風が体温を下げ、汗の出ない快適な状態を作り出していた。 日本では今頃は梅雨の時期を向かえ、かばんの中には折りたたみ傘を常備しておく、鬱陶しい季節がやって来ているはずだが、今日の上海はそんな気配を微塵すら感じさせない。 日本でも梅雨が来る前の暑い日が好きだった。 湿度の高い、うだるような暑さではなく、日差しは強いが日陰に入ると快適に過ごせるようなからっとした暑さ。 湿度が低い為、日が落ちるととたんに涼しくなる、あの瞬間。 でも、梅雨や夏の暑さや冬の寒さがあるから、美しき日本の四季移ろいがあるわけで。 解ってはいるのだけれど、ついつい無いものをねだってしまうのは、人間の心理なんだろうか。 |
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